阿部 仁子

ドクターインタビュー

阿部 仁子

診療科について

「摂食機能障害という病気について教えてください」

摂食嚥下障害とは、脳血管障害やパーキンソン病などの全身疾患の後遺症や、認知症、口腔顔面領域や耳鼻科領域の術後の機能障害によって、食べる・話す機能に障害が生じ、思うように食事ができない、話すことができなくなってしまう病気です。また、加齢による筋力の低下でも起こることがあります。
食べる・話すという口の機能は生まれながらに本能として備わっているものではありません。赤ちゃんは母乳やミルクを哺乳し、やがて離乳食を食べ始め、幼児食へとステップアップしていきます。その過程で、食物を認識し、食べ方・飲み込み方を学習し、獲得していきます。そして口の動きの発達とともに、言葉を覚えおしゃべりをするようになります。この成長の過程で正しい口の機能を学習・獲得しないと、食べること、話すことができなくなってしまいます。このため、生まれながらの病気や障害の影響で、口の機能を正しく学習・獲得できない乳幼児や小児は、正しい口の動きを獲得することができず、食べることや話すことが困難になります。このように、摂食機能障害は、高齢者だけでなく、乳幼児や小児にも起こる病気です。摂食機能障害になると、十分な水分・栄養を摂取することができなくなり、低栄養や脱水を引き起こします。また、よく耳にする「誤嚥性肺炎」や「窒息」も摂食機能障害が原因となって起こります。このように、重度の摂食機能障害は命に関わることもあります。

「実際にどのような治療を行いますか」

摂食機能障害に対する治療は、まず、患者さんやご家族に対していつ頃から症状が出ていて、最も気になっていることは何かなどの問診を取ることから始まります。次に、摂食機能障害がどのような症状なのか、また、どのような機能の問題があるのかを精密検査を行い診断します。摂食嚥下障害に対する精密検査は2つあり、1つは嚥下造影検査(少量のバリウムを飲んで飲み込みの状態を評価する検査)、もう1つは嚥下内視鏡検査(鼻から細いカメラを通して飲み込みの状態を評価する検査)です。これらの検査結果から、何が原因でどのような症状が生じているのかを精査します。合わせて口腔内の状況も確認し、歯や舌や歯肉などの軟組織、噛み合わせの状況なども合わせて診査します。その後、問診内容と精査した検査結果をもとに、患者さん一人ひとりに合わせた摂食嚥下リハビリテーション(摂食機能療法)と歯科治療を実施します。
また、食事が困難な乳幼児、小児に対しては、まず口腔内を診査し、乳歯を含めた歯の状況や噛み合わせ、舌や歯肉の状態を診査します。さらに、実際に食事をしている場面を評価して、どこまで正しく機能の学習ができていて、何が足りないのかを診査します。また、噛み合わせや歯並び、舌の下にあるヒダ(舌小帯といいます)の状態が飲み込みに影響を与えていると判断される場合には、必要に応じて矯正歯科や小児歯科と連携をとりながら治療を進めることもあります。成人と同様に、一人ひとりに合わせた摂食指導や口腔機能訓練を提供し、食べる・話すための口の機能の学習・獲得を促し、口腔機能の発達を支援します。
これらの治療は、外来だけでなく、在宅や施設で療養していて来院することが難しい患者さんに対しては、訪問歯科診療という形でも行なっています。

診療について

今の仕事のどういったところ(またはどういったときに)にやりがいを感じますか?

患者さんが口から食事ができるようになり、生きる希望を見い出した時、家族と食事を楽しめるようになった時に、この分野で仕事を続けていて良かったと心から思います。「食べる喜び」を再び見出した患者さんとご家族の笑顔は何にも変え難いものです。
摂食機能障害は改善することはあっても完治する病気ではありません。ほとんどの患者さんが人生の終わりのその時まで、この障害とともに日常生活を送ることになります。中には手を尽くしても残念ながら口から食べることを断念せざるを得ない患者さんもいらっしゃいます。そして、摂食機能障害を持つ患者さんの年齢層は様々です。赤ちゃんから高齢の患者さんまで、その生活環境は大きく異なります。口から食べることが難しい時にどのように栄養を摂るのかどうかは生死に関わる重要事項であり、生きるために日々思うこと、悩むことはさまざまです。患者さんだけでなく、ご家族が最も必要とする治療や指導を行うため、問診の時間を長く取り、じっくりお話を伺うことも私にとっては貴重な時間であり、その都度多くの人生を知り、自分の価値観を見直すきっかけになることも多々あります。歯科治療や摂食嚥下リハビリテーションを通じて患者さんと苦楽をともにできることは、医療従事者としてこれ以上ない名誉なことであり、この分野を専門にしている私のやりがいです。

経緯について

先生がこの専門分野を志した理由を教えてください

卒業したらどのような歯科医師になるのかというのは、歯学部に在籍し、歯科医師を目指す多くの学生にとって大きな悩みどころです。例に漏れず私もそんな学生の1人だったのですが、卒業を控えた6年生の時、ある講義でこれからの歯科医師は歯科医院に通って来ることができない患者さんに対して訪問診療をする時代が来るだろうという話を聞いたのです。講義の中のほんのこぼれ話だったと記憶しているのですが、患者さんが歯科医院に来るのが当たり前だと思っていた自分にとって、思ってもみない歯科医療のあり方に、はっとしたのを今でも覚えています。超高齢社会の日本においてこれからの歯科医療は変わっていくのかもしれない、この時の講義を機にこれまでの自分の中にあった歯科医師像が大きく変わりました。とはいえ、まずは一人前の歯科医師になってから訪問診療ができる歯科医師を目指そうと考えていた矢先に、本学に摂食機能療法学講座という新しい講座の開設と同時に、歯科病院には摂食機能療法科という診療科ができることを知りました。摂食機能障害をもつ患者さんに対して、外来だけでなく、訪問歯科診療で歯科医院に通うことができない患者さんに対する摂食嚥下リハビリテーションや歯科治療を行うと聞き、この分野でやっていこうと迷いなく飛び込みました。当時は摂食機能療法学という学問は新しく、摂食嚥下の「せ」の字も知らない状態から、多くの失敗や試行錯誤を繰り返しながら指導教授に教えを乞い、何よりも多くの患者さんにご指導いただいたからこそ、ここまでやってくることができたと思っています。

まとめ

先生のこれからの目標や夢について教えてください

これまでの大学での歯科教育では知り得なかった、教科書でも講義でも見たことがない惨憺たる患者さんの口腔内を初めて目にした時、歯があっても思うように食事ができない患者さんに接した時の衝撃は今でも忘れることができません。また、口腔がんの患者さんとは二人三脚で歯科治療と摂食嚥下リハビリテーションに取り組み、その中で歯科ではあまり馴染みのない「看取り」も経験させていただきました。患者さんとともに歩む時間は無限ではないことを実感し、後悔のないように歯科医師として全力を尽くすことの大切さを学びました。これらは6年間の学生生活では学び得なかったことです。歯科医師になってもまだまだ勉強することはたくさんあり、向上心を持ち続けることの大切さを歯学部の学生の皆さんに伝えていきたいと思います。また、歯科医療は歯の治療をして終わりではありません。その後の口の機能の回復まで診ていくことが非常に重要です。そして歯科医師が独りよがりにならず、患者さんの価値観を理解しながら、最良の治療の選択肢を提示する必要があります。患者さんの人生に寄り添い、共に歩んでいくのだという気概を持った歯科医師の育成に尽力していきたいと思います。

患者さんへのメッセージをお願いします

口の健康について、日々皆さんはどのくらい意識して過ごしているでしょうか。食事をすること、話をすることはあまりにも当たり前すぎて、そこに関わる口にはあまり意識が向かないことが多いかもしれません。しかし、一度口の機能が損なわれると、途端に当たり前だった「食べる・話す」ということができなくなります。摂食機能障害は時として命に関わる病気です。症状が重くなる前に、早めに気がつくことが大切です。少しでも何か変だなと感じたら遠慮なくご相談ください。

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